かつて鹿児島で取材した餌木製作の知識を生かし、その後数年間、餌木を自作していた経験がある。
樹脂の型に布を巻き、ハリ、オモリなどを取り付けるだけではあったが、関西の釣具店に餌木などほとんど並んでいなかった時代で、そのカラフルな出来映えには大いに満足したものだった。しかし、いつしか時代は進み餌木釣りはエギングへと進化し……。今回は当時、鹿児島で聞いて学んだ記憶を中心に「餌木釣り」時代をたどってみたい。エギングの幅を広げるヒントになれば幸いだ。
餌木のルーツ?
鹿児島県は薩摩半島の南端、開聞岳がそびえる旧山川町(現・指宿市)が漁具としての餌木発祥の地とされる一方で、そもそも餌木は奄美大島で発祥し、江戸中期から末期にトカラ列島、種子島を経由して薩摩に伝わったと推測される……という説もある。いずれにしても、どういった経路をたどったかは別にして、奄美地方を含む薩南、鹿児島エリアで発達したアオリイカを釣る漁具としての餌木が全国に広まったのは紛れもない事実だろう。
焼けこげた木片
30年近く前、山川で餌木を製作していた釣具店店主から聞いた話では「その昔、波打ち際に漂う焼けこげて木目がくっきり浮き出た木片に、ミズイカ(アオリイカ)が抱き付く姿を見た人が思いついた……」というのが餌木の起源だという。また一説には「夜間、船上で作業をしていた漁師が松明を海に落とし、それにミズイカが……」というのもある。とにかくアオリイカがエサの魚やエビではなく、単なる木片にも場合によってはエサと間違えて興味を示すことを発見したのだ。こうして漁具としての擬似餌、和製ルアーともいえる餌木が誕生したのである。
白木から塗装、そして布巻きへ
これらの話に共通するのは焼けこげた木片にくっきり浮き上がった木目の存在。これをアオリイカが好物の魚やエビの模様と認識したのだろう。したがって鹿児島に残る初期の餌木には焼き加工が施され、木目をくっきり浮き上がらせているものが多い。一方で木片を魚型やエビ型に削って完成された餌木の形状そのものもアピール力を持つためか、あえて木目を強調せず白木のままの餌木も時代は前後するが存在するのだ。その後、餌木は本体に塗装を施したもの、そして現在の布を巻いたものに発展したのだろう。
下布の妙と背中の緑
現在主流の布巻き餌木は、下布と上布の2重巻きになっていることがほとんど。ただ上布から透けて見える下布は現在、金テープ、赤テープと呼ばれる布以外のもので代用される。とにかく餌木を見る角度によってボディーの反射が変化するのがミソなのである。
これも以前に山川の釣具店で聞いた話なのだが、鹿児島には餌木の布を専門に商う人がいて、餌木の布で得たローカルな収入だけで家が建ったというから驚いた。上布は薄く下地が透けるものが定番。古くはスカーフの布などが好まれたようだが、色には決まりはなかった。ただ鹿児島では「背中は緑」という不文律あったそうで、山川の釣具店で作られていた餌木の背中にはペイントで緑の太い筋を1本通し、その両脇からは細く鋭い緑の縞目を出したものがほとんどだったと記憶している。
曳かなければ沈まない
漁法としての餌木での釣りは、そもそも船で曳く(引く)スタイルである。
漁具としての餌木は海面に落とすと前部下方に取り付けられたオモリにより尾部を上に頭を沈めた前傾姿勢で、ぎりぎり浮いている状態を保つのだそう。この状態でゆっくり曳けば餌木の背部に水圧を受け海中に潜り、曳くのをやめればユラユラと浮き上がる。現在の釣具としての餌木とはまったく逆の発想なのだ。
現在のエギングでも藻場などの超シャローを攻略する際、引けば沈み止めれば浮上する餌木があれば強力な武器になるかもしれない。
ダートの意味するところ
現在の餌木は沈下速度の差こそあれ、すべては海底に沈むタイプである。餌木を引く、もしくはしゃくることで浮き上がらせては沈めるのだ。
餌木のアクションとして一般的になったダートも、沈む餌木を浮き上がらせる一手法にすぎない。最大のメリットは真っ直ぐ手前へ浮かせて沈ませるよりも、左右ジグザグに浮かせて沈ませる方が回収までに時間がかかり、それだけ海中でアオリカイカにアピールできる時間を長くとれるという点である。左右にダートするからアオリイカが興味を示す……というのはウソだという人もいるし、仮にそうだとしても二次的な効果のような気がしてならない。
置き竿エギング?
アオリイカが釣れにくくなった現在では夢のような話だが、以前ならナイトゲームで海底に餌木をステイさせておくだけで釣れることがあった。
着底した餌木がお尻を浮かせてユラユラ……。それにアオリイカが抱き付くのである。置き竿スタイルのエギング、根掛かりには気を付けて……。ウソのような本当の話である。