突然ですが、皆さんは「ブリ」と「ヒラマサ」、または「カンパチ」と言った高級青物の見分けがつくだろうか?
釣りを趣味とし、あしげく釣場に通うツワモノアングラーからは「分かって当然っ!!」と叱られてしまいそうだが、私はと言うと、、、恥ずかしながら見分けがつきません。。。 いや、正確には「じっくり観察すればかろうじて見分けることができるが、瞬時には判断がつかない。」と言った具合だ。
「ブリ」と「ヒラマサ」は、「口の端、口角の形が異なる(※ブリは角ばっており、ヒラマサは丸みをおびている)」とか、「胸ビレの位置が異なる(※ブリは体中央の黄色いラインの下にあり、ヒラマサはラインに掛っている)」とか、他にも「体型」「顔の大きさ」「体の黄色いラインの鮮明さ」などなど、様々な見分け方があるようである。同様に「カンパチ」は、「体色」「顔の形」「魚体の形」など、やはり、「ブリ」や「ヒラマサ」とは明らかに異なる要素があるようだ。
しかしながら、私自身は魚をパッと見ただけでは、確信を得れるほどしっかりと分類することができず、長年ぼんやりとその違いを目にしているのみ。周囲にはその分類を確実に出来る社員が多く、同じに見えてしまう私は彼らを非常に尊敬している。
他にも、「○○メバル」の違いが分からなかったり、アオリイカは分かるものの、「このイカは何イカだっけ?」という事が日々多く、恥ずかしいばかりである。しかし、分類が出来ないなりに考えを巡らせてみると、魚社会も人間社会同様、「住む地域や口にする食料が長年異なることで、微妙に変化した結果というだけで、そう大差無いのではないか?」 逆に「そのルーツが異なるが、やや似通ってきたものも居るのではないか?」といった想像が膨らみ、少し興味が出てきた次第だ。
我々日本人の祖先は諸説あるが、朝鮮半島をルーツとする「弥生人」起源の人たちと、北方、南方に多く見られる「縄文人」を起源とした人たちの大きく2種類があるそうだ。(沖縄の血筋を持つ私は「縄文人」起源だと思われ、やや濃い顔である。) 約3,000年前以降、本州(本土)ではこの「弥生人起源」と「縄文人起源」の我々祖先の混血が活発に進んだ反面、南北に遠く離れている地域では、混血の波及が遅かったため、地域によって若干顔つきが異なるそうだ。(「混血説」という)
魚社会でも同様の事が起きたとすれば面白い。実際に同じ「真鯛」でも、尾ビレ付近の背骨に節があるものが居り、関西では瀬戸内の急流で育った「明石鯛」の証だと言われている。まるで、指を酷使するクライマーの指の関節を思わせる。また、過去に釣った「カサゴ(=ガシラ)」も、ある地域で釣ったものは、異様に胸ビレの骨の1本1本が太く、まるで「人の手」の様になっているモノも居た。
定かではないが、そのエリアも流れが厳しい場所だったため、流れに負けないように岩場に身を寄せ、しがみついた結果ではないかと、話が盛り上がったことがある。
他にも、夏場にたっぷりと脂の乗った、和歌山と淡路島の間にある紀淡海峡で釣れる「鬼アジ」は、食べるものが違うのか、体はやや黒ずみ、大きなものは体長45cmにもなる。沖合いを回遊するこの「鬼アジ」も居れば、浅場の瀬につくタイプで、体高もあり体が黄味がかっている「黄アジ」と呼ばれるものも居る。
種類や育ちの違う魚たちが、「俺はここのオキアミを食べるから、お前たちはあっちでカニ食べといて。」とか、「最近風邪引きやすいから、低水温が辛いのよね~。暖かいところに移住しようかしら。」などと、お互いに話し合って「住む場所」や「食べる場所」を分けている訳ではないだろうが、恐らく動物的本能に従って、なんとなく互いの空気を読んだ結果、少しずつ違いや変化が表れているのではないだろうか。ある者は弱肉強食の世界で追いやられ、ある者は集団のリーダーに従い、またある者は美味しい食を求めて、移動や食性の変化を繰り返し、今の魚の違いがあると想像できる。
普段、利益競争の荒波に揉まれ、上司の命令に従順に従う傍ら、家に帰れば温かいストーブまたは、クーラーの前といった快適空間を陣取り、のんびりとポテチをかじる、、、本能的に居心地の良さを求める我々人間とそう大して変わらない気がするのである。。。
そんな風に、水の中の世界を擬人化してみると、意外にも平和で、意外にも過酷な魚社会が覗けた気がして面白いものである。お魚さんにも愛情を持って、優しい眼差しで接しなければ。
※本文は都合により脚色を交えております。また、個人的な主観で執筆しております。ご了承下さい。