幼い頃から釣りに親しみ、若くして「真鯛一つテンヤ」を日本各地に広めた人物としても知られる鈴木新太郎氏。千葉だけでなく、全国に足を運んで徹底的な現場主義を貫く。
今回はそんな関東・外房のカリスマはどんな釣り人なのかにクローズアップしてみたいと思う。
関東・外房だけでなく、全国で磨かれた現場主義
房総という土地柄、もともと釣りは身近だったとは思いますが、沖釣りに目覚めることになったきっかけは何だったのでしょう?
船に乗り沖釣りにハマったきっかけは、船宿さんなどへの釣り具の卸し業という仕事柄、船に乗る機会がたくさんあったんです。どこの船でも気軽に乗れるという恵まれた環境があり、実際に現場を知るという意味でも非常に良かったですね。話としては全然面白くないですよね(笑)
そして後に一つテンヤのカリスマと呼ばれる訳ですが、色々と苦労もあったのでは?
うーん、結果的にはそうなりますかね?千葉の大原が一つテンヤと名付けられる発祥の地だと思うのですが、ここで新太郎テンヤと言って、たくさんの船宿さんがあるこの環境で、先ずはどの船宿さんでも皆が使ってもらえるテンヤを作ったんですよ。それが始まりでした。ただ大原で自分だけがそのテンヤで楽しんでるだけは勿体ないと思ったんです。北海道や沖縄を除いて、真鯛は全国にいるし、エビで鯛を釣るという方法もどこにでもあった。そこで所謂ライトタックル、軽い道具立てでも何処だって釣ることが出来るだろうと。
ただ地域によっては苦労しましたね。場所によって様々な釣り方がありますし、真鯛が食べている餌も微妙に違ってきます。なかなか受け入れられない事もありました。新しい釣法には最初は否定的なこともあるものです。そんな中で、こればっかりは運が良かったのかもしれませんけど、釣れなくて困っているという船屋さんから連絡があり、実際に船長に教えてあげるというか、意識的な部分を変えてあげるだけで、一つテンヤで真鯛がたくさん釣れた。徐々に釣具屋さんなどを通して、遊漁船でなくプレジャーボートの多い場所や、大会などのイベントでも声が掛かり各地でレクチャーをさせてもらって、段々と理解されていくようになりましたね。
一つテンヤ、そして地元への愛
地元で作りあげて、ここ大原を大事にするためには、自分がここにいるだけでは廃れていってしまうと思いました。地元を盛り上げるために、大原をよろしくお願いしますという風に積極的に、あえて各地を回ったんです。テンヤを広めると言うとカッコよく聞こえてしまうかもしれませんが、もっとしっかり理解して欲しいという思いがありましたしね。そしてテンヤに限らず、道具というのは地域によって形が変わっていくものなんですよ。それを期待して、あくまで発祥・原点はここだよという感じで、全国を回ったというのはありますね。釣り人の視点や場所によっては違う見え方をしていても、基本的には真鯛の習性は一緒でした。私自身も、色々な場所で、すごく勉強をさせてもらったと思っています。
常に新しいスタイルを、もっと多くの人に
なるほどですね。しかも現在では全国に普及したと言っていい「一つテンヤ」のみならず、「ライトヒラメ」のスタイルなど、常に新しい釣りの提案にも余念がないですよね?そのライトヒラメとはどの様な釣りなんでしょう?
そうですね。単純に道具を軽くしたと思って頂ければ良いんじゃないかなと思います。
釣り船の釣りって、段々と歴史ある釣りになってきているんですよ。お客さんの層を見ても、船釣りの全盛期を釣ってきた人達が多く、若者が少なかったり。例えばコマセでイサキやハナダイを釣ったりとかっていうのは、決して難しい釣りではないんですが、重たいだとか、汚れるだとか、ちょっと沖釣りに入ってこれないと感じる若者にはそんなイメージだと思うんですね。そこで、単純に道具立てを軽くしてあげて目線を変えてあげた様な感じです。ヒラメって小さい魚ではないですよね?時には10kg近い魚もいる訳ですが、そういった高級魚を釣る時ってどうしても道具が重くなって、特に子供や女性の方は1日竿を持っていられなかったりする。要は置いておいた竿でなく、1日握った竿で「釣った感」を味わって欲しかったんですよね。それの方が”釣れた”ではなく「釣った!」と感じてもらえて、1匹の価値も変わるんじゃないかと。それで考案したのがライトヒラメですかね。それが受け入れられて、年齢層も段々と変わってきているのだと思います。
HAYABUSAとの繋がり
きっかけは、元々HAYABUSAさんはお客さん(卸売の)だったので、個人的にそれまでリリースしている仕掛などの商品もクオリティも知っていました。でもHAYABUSAさんだったらもっと良いモノを作れると思ったんです。それで自分の方から、一緒に作っていきませんかとオファーしました。
実釣に基づいた物作りへのこだわり、一つテンヤ発祥の地としてのプライドや、その地元への愛情がひしひしと伝わって来たインタビューは、徹底した現場主義、外房育ちの海の男という強い鈴木さんの勝手なイメージから想像出来ないぐらい、終始笑いの絶えない時間となった。今後の活躍と新しいスタイルの提案にも大いに期待したい。