周囲を海に囲まれた我が国ニッポンは紛れもなく海釣り天国、多種多様な魚がねらえるが、同じ魚種をねらうにしても、さらに同じ釣りジャンルといえど、地方によって独特のカラーがあるのが、何より古くからニッポン人が釣りに親しんできた証拠。
「あの釣りこの釣り古今東西」第11回は船のタチウオ釣りについて。大阪湾を中心とした関西では古くからテンヤ釣りが主流。一方、東京湾では古くからテンビン使用の吹き流し仕掛での釣りが行われてきたが、近年はテンヤ釣りもメジャーになってきた。全国的な釣り方の画一化を心配しつつ、各地のタチウオ釣りのスタイルにスポットを当ててみたい。
50年前にはすでに存在した
大阪湾発祥!?のテンヤ釣り
大阪湾や紀北(和歌山県北部)で乗合船がスタートしたのは50年ほど前のことだといわれている。当時を知るベテランアングラーによれば、その当時からテンヤでのタチウオ釣りはすでにあったのだそうだ。ただし、テンヤは現在のような紡錘形でカラフルなスタイリッシュなものではなく、武骨でシンプルな鉛むき出しの丸(ラウンド)型だったそうだ。
エサは当時から冷凍イワシで、釣り方は底や中層まで落としたテンヤをゆっくり巻き上げてくるだけの繰り返し。現在のような誘いのメソッドもなかった。さらに小型で高性能な電動リールも存在しない時代だったものの、それだけで充分釣れたそうだ。
私が釣り雑誌社の編集部に籍を置いていたころだから約40年前。その当時は現在ほどタチウオ釣りの人気は高くなかったような気がする。その時代に船のタチウオの取材に行った記憶がまるでないのだ。
現在は年明けの冬場でも(1年中という船もある)タチウオをねらう船が多いが、当時はメバル、ソイ、カレイなど冬には冬の釣りモノがあったし、それぞれよく釣れた。四季折々で釣れる魚のなかのひとつがタチウオだったのだ。
PEラインの登場で
勢いを増したテンヤ釣り
そして時とともに大阪湾のタチウオ人気は高まり現在に至るわけだが、その釣りを大きく進化させたのは、細くて伸びがなく強いPEラインの登場によるところが大きいと思う。加えて電動リールの進化もめざましい。ともなってロッドも。そしてこの釣りのキモであるテンヤ自体のアピール力、フッキング性能も格段にアップした。
このテンヤ釣りが東京湾に飛び火し、釣り人に認知されるようになったのは10年ほど前のことだろうか。ルアーフィッシングに通じるゲーム性の高さとスタイリッシュさが受け、より大型が釣れる確率も高いということで、現在ではテンヤ釣りができる遊漁船がかなり増えたと聞いている。
(写真提供:HEATライターJIRO)
今も人気の東京湾のテンビン釣り
三河湾や湯浅湾でも!
そんな東京湾の船のタチウオ釣りだが、現在も変わらずテンビン仕掛の釣りも人気がある。
オモリが付いたテンビンの先に2mほどのハリスの吹き流し式。途中に30cmほどのエダスを出した2本バリ仕掛が標準。軸が長いタチウオ専用のハリには、イワシやコノシロなど魚の切り身をエサにする。
(写真提供:HEATライターHAZEKING)
ところ変わって大阪湾と東京湾の間に位置する愛知県の三河湾も、東京湾と同じく古くからテンビン仕掛の釣りがご当地のスタイルだったが、現在はテンヤで釣れせる遊漁船も多くなっている。
(写真提供:HEATライターHAZEKING)
ところで、実はテンビン仕掛のタチウオ釣りは古くから関西地方にも存在する。和歌山県湯浅湾がそうだ。釣り方、仕掛、エサは東京湾と大差ないが、大きく違うのは湯浅湾のテンビン釣りでは夕方からの半夜釣りという点だ。
大阪湾や東京湾にくらべ、規模が小さい湯浅湾という環境のせいなのか理由は分からないが、日中、深い場所に移動していたタチウオが日暮れとともに浅い湾内に入ってくるのを迎え撃つ感じなのだろう。
(写真提供:HEATライターHAZEKING)
とにかく、現在はテンヤ釣りの勢いがとどまるところを知らない。近年は瀬戸内、九州、東北などでもテンヤ釣りがブームになっている。そのゲーム性の高さ、面白さは疑う余地がないので当然のことといえるが、各地方の伝統的な釣り方も、その火を消すことなく後世に伝えていきたいものだ。釣り方に優劣、貴賤(きせん)はないのだから。それが世界に胸を張れる釣り天国ニッポンの日本たる所以だと思う。