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周囲を海に囲まれた我が国ニッポンは紛れもなく海釣り天国、多種多様な魚がねらえるが、同じ魚種をねらうにしても、さらに同じ釣りジャンルといえど、地方によって独特のカラーがあるのが、何より古くからニッポン人が釣りに親しんできた証拠。
「あの釣りこの釣り古今東西」第3回は、現在のメバリングの元祖? ともいうべき瀬戸内海エリア独特の「探り釣り」というメバルのねらい方について。
ハリ1本に虫エサをチョン掛け
ノベ竿で明暗部を探った沼島の夜
たぶん中学生のころ(約40年前)だっと思うが、兵庫県は淡路島の南に浮かぶ沼島(ぬしま)に父と2人で釣りに出掛けたときのことだ。明石港から連絡船で淡路島に渡り、路線バスで淡路島南部の土生(はぶ)港へ。そこから再び連絡船で沼島入り。
日中は渡船利用や徒歩で山を越え磯釣りを楽しんだが、夕食後は港の防波堤先端でも釣りをした。そのときに現地の人に教わったのが、常夜灯が照らす海面の明暗の境目を虫エサでねらうメバル釣りだった。
4.5mほどのノベ竿に道糸とハリスは0.8号通し(だったような気がする)で、全体の長さは竿尻から少しバカ(余分)が出る程度。ハリは? うーん何だったか記憶にないが、おそらくアブミバリの8号ぐらいだったような……。そのハリ上40~50cmぐらいにカミツブシの小~中を1個打ち、エサは虫エサ(まだアオイソメが出回っていなかったので、おそらくイシゴカイ)を1匹チョン掛け。
この仕掛を海面の明暗部の境目に打ち込み、ある程度仕掛がなじんだところでスーッと仕掛をゆっくり引くと、竿先にブルブルッとアタリが出て小型だがメバルがよく釣れた。
沼島の釣りは瀬戸内西部から?
その名も「広島流探り釣り」
その後、長らくこの釣りのことは忘れていたのだが、成人し釣り雑誌社の編集部員として活動しだしてから、瀬戸内海西部は広島方面でメバルを釣る方法として「広島流探り釣り」の存在を知った。
聞けば2本バリにすることが多く、エサは虫エサだけでなく生きエビも使うという点を除けば、ほぼ同じ釣り方のように思えた。瀬戸内海の西から東へ同様の釣り方が伝播していてもおかしくない。
この釣りを現代風に、ノベ竿をリールとロッド(ライトタックル)に、虫エサをワームに置き換えると、まるでメバリングのスプリットショットリグだ。
2000年代に入ったころ「広島流探り釣り」は変化を見せる。
当時、勤務していた別の釣り雑誌社の取材で広島を訪れた際、探り釣り名手の釣り方を見せていただいたのだが、竿や糸はそのままに虫エサはワームに代わっていた。
すでにメバリングが全国に波及していた時期でもあり、広島流探り釣りも進歩していたのである。ノベ竿(6mクラス)使用なので探れる範囲は限られるが、「決してメバリングの釣果に負けない」というのが、その名手の自負するところだった。
但馬海岸の磯で「島打ち」土佐カブラ
これも広い意味でのメバリング?
一方、兵庫県の日本海側には古くから「島打ち」と呼ばれる釣りがある。「島」というのは但馬の言葉で「磯」のことだと思われる。
2007年に但馬海岸の三尾磯で取材したときは、磯竿にスピニングリールだったが、これも古くは長めのノベ竿を使用していたに違いない。
そして仕掛の先端は虫エサでもなくワームでもなく「土佐カブラ」という日本に古くからあるハリのチモト部分にナマリを鋳込み、鳥の羽根などのバケが付いた擬似餌を使用していた。
磯からの釣りだったので常夜灯などないが、仕掛を振り込んでは中層を引くという釣り方自体は広島流探り釣りやメバリングと、まるで変わらない。また近年は、いわゆるジグヘッドにワームではなく虫エサをセットして釣るハイブリッドな方法も珍しくないので面白い。
時代が変わりタックルが進化しても、釣りの根本的に大切な部分は変化することなく、連綿と受け継がれるものなのだと改めて思う。そう、昔も今もメバルはメバルなのだから。