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私たちが日頃から慣れ親しみ、楽しんでいる「釣り」。魚を釣ることに一喜一憂するのもいいですが、たまには「+α」のことも楽しみながら釣りをしてみませんか?
グルメや観光、温泉などなど。普段は釣りばっかりのルアマガ+編集部員が、この企画では釣りも釣り以外の楽しみ方も、全国各地を巡り、皆様にご紹介させて頂きます!
ハヤブサWEBマガジン「HEAT」とのコラボ企画第2弾!! 週末どこに行こうか悩んでいる皆様、必見ですよ♪
日本のバスフィールドの聖地を自転車で駆け巡る!?
現在釣りをしている多くの人が、幼少時代、少年時代に釣りに触れ、その虜となり現在に至るのではないでしょうか。私自身も少年時代、1990年代の釣りブームの到来とともに釣りをはじめ、のめり込み、今なおその虜にあります。
そんな少年時代に行く釣り場は、両親や親せき、はたまた友人の父親に車を出してもらい連れて行ってもらうパターン、電車やバスなどの公共機関を使い、遠方の防波堤や川、湖に行くパターン、もしくは少年時代最大の機動力を持つ「自転車」を駆使し、行けるフィールドならどこへでも! という探求心や冒険心も併せ持ち友人とペダルをこぎ続け魚を追い求めるパターン。
今回は夢中だった童心を思い出すため!(運動不足解消の為ww)自転車に乗り、バスフィッシングを敢行!! 果たして春のブラックバスをキャッチすることが出来るのか!?
■営業O木
内外出版社勤務、ルアマガ+編集部員。生まれも育ちも湘南・藤沢という生粋の湘南ボーイ。
前職では釣具店に勤務しており、時間があれば地元湘南を中心にロッドを振る釣りバカ。ソルトルアーを中心にバス釣りや船釣りも楽しむ。釣り以外にも漫画やアニメ、歴史が好きで見た目に寄らずヲタク気質。
今回O木が訪れたのは関東屈指のメジャーフィールド霞ケ浦・北浦水系。
バスフィッシングのプロトーナメントやオカッパリ大会、ルアマガの大人気コンテンツ「陸王」の舞台でもお馴染みの全国でも指折りの広大なフィールド。勿論休日のみならず、平日でもアングラーが多くて人的プレッシャーも高く、流入河川も含めるとその水域はさらに広大になります。
旅の始まりは潮来駅
旅のスタートは潮来(いたこ)駅から。まずは駅前で予約したレンタサイクルを受け取ります。
レンタサイクルはJR潮来駅降りてすぐにあり非常に便利! 潮来市のサイクリングホームページには距離別にサイクリングコースも掲載されており、市内観光や地元のグルメなども楽しみながらサイクリングが出来るのです! 週末には海外からのお客さんも多く、サイクルマップは中国語も対応。
準備は万端、いざ釣り場へ! と……その前に
レンタサイクルを受け取り、タックルを厳選し、準備は万端! 早速釣り場へ向かうと思いきや向かったのは釣具屋。そう、潮来に来たからには必ず立ち寄りたいのが、潮来駅すぐ近くにある「潮来釣具センター」です。ここはミラクルジムこと、レジェンドプロアングラー村田基さんが営む釣具店。
かつて90年代のバスフィッシングブームの火付け役であり、フィッシングデモンストレーターとしてテレビや雑誌で大活躍していた村田基氏。そんな村田氏が監修した釣り漫画「グランダー武蔵」は当時の小学生を中心に釣りブームを巻き起こし……というO木もその釣りブームの世代の1人。
店内には釣具だけではなく、懐かしのグランダー武蔵のグッズやルアーも飾られている!
今回の自転車釣行企画にピッタリなノスタルジックな思いをさせてくれるスポットのひとつですね。
水の郷・潮来!
そして追加のルアーを購入し、いざ釣り場へ……とその前にもう1箇所!
水郷潮来あやめ園へ立ち寄り。潮来と言えば外せないのがこの「菖蒲(あやめ)」。毎年5月から6月頃に開花を迎えるこの菖蒲ですが、水郷潮来あやめ園では何種類もの菖蒲が植えられており、見ごろを迎えると園内一面に菖蒲が咲き誇ります! また、同時期には「水郷潮来あやめ祭り」も開催され、日中は勿論、夜にはライトアップされた菖蒲を見れるとか!
また祭り期間中には「さっぱ舟」と言われる水路運搬船で園内を30分、船頭から潮来の昔話を聞きながら鑑賞するコースもあります。
潮来はもとより水路の町で、昭和30年ごろまで水路が運搬のルートとなっており、その潮来では嫁入り時に嫁入り道具とともにサッパ船で花嫁も移動をしておりました。
なんとあやめ祭りの期間ではこの伝統の風習を復活させ、本当の花嫁さんを乗せるとのこと!!
潮来に訪れた際には是非見てみたいカップルやファミリーにもオススメのイベントですね♪
潮来は水戸黄門が名付けた!?
もともと潮来は江戸時代以前には「板久(いた)」という地名でありましたが、その地名の由来を土地の住民に聞いたところ、「潮」のことを「板」という習慣があり、凪の海の潮の状態が板のように平面に見え、木目が水の流れのように見えることから、古くから“板”に例えられたのが由来で、それに興味を持った水戸黄門こと水戸藩主・徳川光圀公がそれまで「板久」とされていたこの土地を「潮来」と改めるように命じ、以降「潮来」と読むようになったとか。
徳川光圀は水戸黄門として、今では時代劇の影響もあり、誰もが知る歴史上の人物ではあるが、大日本史という歴史書を作成した学者肌を持ち主で、水戸の文化事業を推進した人物でもあるのです。