「初心忘るべからず」とは、“何事においても、始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならないという戒め。”だそうだ。
世阿弥が『花鑑(鏡・かがみ)』の中で、能楽の修行について語った「当流に万能一徳の一句あり。初心不可忘」とあるのに基づく言葉だそうで、更に、世阿弥の言う「初心」とは、一般的に知られている、何かを始めた頃の気持ち「初志」ではなく、「芸が未熟であること」「初心者の頃のみっともない様」を指しているそうである。すなわち、芸が未熟で、惨めであった事を時折思い出すことで、更に芸に磨きをかけ精進できると説いているのだと言われている。
また、「初心」は何かを始めた頃だけを指すのでは無く、未熟さを乗り越えた後、各ステップ毎に至る境地や節目を「初心」として覚えておけば、たびたび次のステップへの精進のきっかけとなり、幅広い芸を学び、経験し、限りない芸の向上を目指すことが出来るのだと世阿弥は語っているそう。「死ぬまで勉強」と言ったところだろうか。
「釣り」を生業としている私ではあるが、既に初めて釣った魚やその時の景色、場所、シチュエーションなど、人生初の釣りモノとの出会いはとうに忘れつつある。しかし、魚釣りの何たるかが分かっていなかったため、釣り上げたい一心で眼の色を変えて釣り場に通い込み、3ヶ月もの間釣れず試行錯誤を繰り返し、何とか自力で魚を釣り上げたときの感動は、今でもまだぼんやりと覚えている。
また、仕事においては、既に10数年同じ業界、同じ業種で働かせて頂いているお陰で、当然の様に日々の業務がこなせるようになっている。苦労し考え、困難をブレイクスルーしながら「経験」を身につけた事で、効率化が図れているのだと自負しているし、何より、「何故こんなことが昔は出来ずに悩んでいたのか・・・」と思える様にもなってきた。しかし一方で、働き始めの頃は自分も苦労したと言うことを忘れ、ついつい「出来て当たり前」目線で、部下や後輩に叱責する事もあり、後で「自分の事を棚に上げて・・・」と後悔することもしばしば。。。
そんな中、年齢と共に日々の業務だけでなく、取材の対応や媒体様との取り引き等、やや「しんどい」と疲れが増えてきた事について、釣りとは違う趣味でお付合いをしている友人に、「取材で夜中から遠方に出て疲れちゃって・・・」と愚痴をこぼしてしまった。すると友人からは間髪いれずに、「遊びやからいいやん!!」とバッサリ。「いやいや、こちとら仕事でぃっ!」と心の中で精一杯の反論をし、一瞬ムッとしたものの、冷静に考えると友人にはその苦労は分からない。しかも、それを説いたところで何になるのかと我に返らされた。と同時に、「あぁ、釣りって遊びだった・・・。」と改めて気付かされたのだった。
釣りの腕前が未熟ながら、それでも必死に、真面目に、そして楽しみながら、魚を釣り上げることだけを考えていたあの頃をすっかり忘れてしまっていた。釣れたときの喜びはあくまで自己満足でしかない。決して効率が良い訳でもなく、回り道をしながら得た経験ではあるが、他人とは比べることが出来ないかけがえの無い大切なプロセス。それ故に自身の成長を楽しむための「初心」を、今更ながらに思い出すきっかけとなったのだった。
釣りの技術や経験値について、あの頃に戻りたいとは思わないものの、釣りに向かう気持ちや姿勢は、出来ればいつでも立ち戻りたい。ようやくWEBマガジンを始めて1年が経とうとしているが、時折「初心」を思い出し、担当として少しでもお客様に興味と親近感を持って頂けるように、成長を伴った企画を考えていきたい。世阿弥の言う「謙虚で真剣な気持ち」を持ち続け、これからも真面目にコツコツと続けて行きたいものだ。
※本文は都合により脚色を交えております。
また、個人的な主観で執筆しております。ご了承下さい。