遊びとして始めた釣り
僕はもともと家の裏が海だったんですよ。家から、言うたら走れば30秒が波打ち際でした(笑)ですので、幼い頃から釣りをするのはごくごく自然なことだったんです。
小学校の頃は毎朝5時ぐらいに起きて、カレイを3匹釣ったら学校に行ってました。釣るまで学校に行けない。
夕方学校が終われば、今度は次の朝に使うゴカイを掘りに行くんですよ。小学生は餌買うお金もないですから、竿とリールだけは親に買ってもらった感じです。
その頃はめちゃくちゃ魚がいましたから、小学生にもよく釣れましたね。釣りはそこからずっとです。
面白い!を求めて、切り拓いていく精神
一度、学生時代には釣りもやるけれど、他の遊びも色々やる時期がありました。少し釣りから遠ざかったと言いますか。その何年後かに、再度本格的に始めた時にはやっぱり面白いな!と。そしてその時に出会ったのがルアーフィッシングだったんです。
小さい頃もブラックバスはやっていましたが、まああまり釣れませんでした(笑)しかし友達の影響で海のルアーのハマり、スズキ(シーバス)から始めて、なんと2回目で良い魚が釣れてしまったんです。こんな面白い釣りがあるんか!と。それまで投げ釣りやダンゴ釣りをはじめ、色々な釣りをしてきましたが、そこでルアーに目覚めた感じでした。
さらにどっぷりとハマるきっかけになったのがメバル釣りでした。ある夜、釣り仲間の一人がブラックバス用のワームなんかを切って、メバル釣りを楽しんでたんです。
僕はシーバスのポイント開拓をしていて、たまたま見かけたんですが、友人は「見つかってもうた!」という感じでした。とにかく、めちゃくちゃに釣れたんですよ。3桁も珍しくはなかった。まだまだこんな面白い釣りがあるのか!と、そこから数年色々なルアー釣りをやりました。いわゆるメバリングも何も開拓されていない時代に、試行錯誤して釣っていくのは本当に楽しかったです。
その2年後ぐらいに、今度はアオリイカを釣り始めましてね。魚とはまた違った引きにすっかりハマりましたね、「まだこんなオモロイ釣りがあるのか!」と。思えば常に新しいものを見つけては、楽しんで、また探して、新しいポイントを見つけての繰り返しだったかもしれません。
遊びから徐々に生業へと姿を変えていく釣り
その頃に、ホームページってものを作ったんですよ。メインは釣りでなく、自分の本業であるお好み焼屋のホームページです。しかしそれだけではつまらないな、と。
そこで、そのページに趣味のページを設けまして、釣果などをアップしていく様になりました。それがきっかけで新しい仲間に出会ったり、エキスパートの釣り人の方も見てくれていたりと。そしてそういった方々から新しい釣りをたくさん見せてもらいました。世界が広がりましたね。
まあネットというものは正直なところ、良いことばかりだけではないですが、お好み焼屋のメニュー紹介するだけではヒット数も上がらんだろうと、趣味のページを作ってよかったです(笑)
そしてページを介して知り合った釣り人の中には、取材をしたり、雑誌社と付き合いがある方もいました。それがきっかけで、取材等に一緒に行ったりとか、雑誌社の方に記事を依頼され始めたりと、そこぐらいからただの遊びだった釣りの世界が、少しづつ変わっていったかもしれませんね。
Hayabusa、そしてタイラバとの出会い
雑誌社の方の紹介で、Hayabusaさんとも知り合いまして、むしろタイラバをここまでやり込んでいるのはHayabusaさんのせいです(笑)最初は新製品等を使うモニター的だった付き合いも、数年と時間を重ねるにつれて、開発の方とも関わる様になり、それぐらいのタイミングでタイラバの開発も始まったんですよ。
ちょうどオカッパリの釣りも人気が出てきて、人口も増えてきて、ちょっと息苦しさも感じていました。それもあって自然とオフショアの方に興味を持ち始めたのもその頃でした。そんな時期にHayabusaさんもタイラバを作り始めました。
しかもHayabusaさんの作ったタイラバは、すでに僕が知ってるそれ以前のタイラバから進化してまして、ただ巻くだけ~なんて思っていたら大間違い。こんなに面白いのか!と。その頃がある意味僕にとっても、タイラバにとってもターニングポイントだったのかもしれないです。
今後伝えたいこと
皆が楽しく遊べればいい、それだけですね(笑)釣りはあくまで最高の遊びなので、面白くないといけない。Hayabusaさんと共に開発に深く携わる様になった今でも、僕にとっては釣りは趣味なんですよね。だから楽しいのが前提なんです。その時期に釣れるものを、常に楽しく仲間と楽しく。そして出来れば釣った魚で皆で宴会!そんなスタイルを崩したくないなぁと思ってます。