From HEAT the WEB DIRECTOR 我思う……

「釣れない時」に何を考え、魚にアプローチをするか……。過去にWEBマガジンでも各種取り上げてきた課題であり、数多くの雑誌・メディアでも取り上げられた話題でもある。
冬や悪天候の場合だけでなく、さまざまな環境要因や魚の習性から、なかなか結果を出せないことは、私自身多いのであるが、そんな時、時間だけがたっぷりとあるお陰で、釣り以外のこともさまざま頭に思い浮かび、考えにふけることもしばしば……。

風景

我々ヒューマンは、(手前味噌なエゴかもしれないが)生き物の中で唯一言葉を持ち、理性を持って何かを創造しえる存在である。生活を豊かにする道具や技術を生みだすだけでなく、娯楽や芸術も伴い、長い歴史のなかで文明を築くまでに至っている。そこに辿り着くまでには、度重なる思考を繰り返し、自己の存在だけでなく社会の存在をも肯定し、存続させるだけのエネルギーを費やしてきたのである。
17世紀フランスの哲学者パスカルは、我々人間の比喩として『人間は考える葦である』という有名な言葉を残した。

ナイル川の河畔に生える「葦」は、強い風が吹き、河が氾濫すると、その弱さのためにすぐにしなって曲がってしまう。 しかし、その見た目の弱さとは裏腹に、風が止み陽が差すと、また元のように真っ直ぐと立ち上がる。その姿は自然や運命の厳しさに非常に無力で従順なように見えて、実は柔軟性があり、不運な運命にも決して屈しない。そして何より、自らを知って考えを巡らせることができる。すなわち思考や精神を持つことで、賢明に生き続けることができる優れた存在であると、我々人間を例えた言葉なのである。
映画「デイ・アフター・トゥモロー(ローランド・エメリッヒ監督:2004年)」や「2012(ローランド・エメリッヒ監督:2009年)」「ディープ・インパクト(ミミ・レダー監督:1998年)」といったディザスター映画でも、人類が想像を絶する困難に見舞われるも、苦境から這い上がり、自らの明るい未来を目指すといったテーマが数多く描かれてきたが、これらに通ずる言葉のようにも思える。

それらとは次元も規模も全く異なる「釣り」ではあるが、釣れない時は、まるで「葦」のように風に吹かれ、雨に打たれて、自然の前にひざまづき、ただただ堤防や砂浜でポツリと一人たたずむのみ……。

釣りイメージ

無力である。しかし、パスカルが言うように、こんな時こそ思考を巡らせ、戦略を練り、ひたむきに魚へのアプローチを模索し続けることが、我々ヒューマンのなかの釣り人だからこそできる、明るい未来を手繰り寄せる前向きな手立てだとも言える。

とは言え、ポジティブに考え続けることはなかなか難しい。

「今、魚をねらっている戦略が正しいのか?」「本当にそこに魚はいるのか?」「ルアーや仕掛は合っているのか?」非常に不安で、風が吹けば今にも折れてしまいそうな心情にさいなまれる。釣れない時はベイトの姿や潮の干満といった兆しやタイミングに高揚し、それでも答えを返してくれない水面や竿先に憤慨する。この躁鬱状態の繰り返しを、ひたすら「忍耐力」で抑え込むことの連続は、想像以上に孤独で、辛いものだ。
そもそも「釣りで結果をだす」とは、魚の習性やエサ(ベイト)、季節や天候、潮、風、日照時間などの環境要因といった複数の条件を加味し、総合的な観点から答え合わせをしていくもの。自然という不明瞭なものを相手にはしているものの、非常に論理的且つ、数多くの情報収集と多角的な分析といったロジックが必要であることは皆さんご存知の通り。(※週末にのんびりと自然満喫する釣りとは違う観点で書かせていただいています)しかし、これらはあくまで主観であり、どこにもその絶対的な答えがないのも事実。

赤の違い

パスカル同様、16~17世紀に活躍したフランスの哲学者デカルトによると、世の中に存在するものは、その色や形、存在を絶対的に証明することができないという。例えばAさんが見る「赤」とBさんが見る「赤」は、光の当たる角度や強さ、またその人の網膜の状態が違うため、同じ「赤」だということができない。いくら言葉で説明しても、万物の定義自体が同じであると証明することができないのだそうだ。
しかし、あらゆる存在を疑うことができる一方で、そのように考えている自己(=自分)の存在や思い、考えは絶対的にそこにあり、その存在は疑うことが出来ない……。『我思う、故に我有り』という有名な言葉に込められた意味だ。

仕掛けイメージ

釣れない時に、さまざまな憶測や不安がよぎり、自分を信じられなくなることは多々あるものの、釣果という絶対的な答えを導きだすために自問自答し、忍耐強く魚と対峙する。そうすることで、釣り人は釣り人としての存在意義を見いだし、必ず釣果を伴って満足を得ることができるのだ。それはデカルトの言葉に通じる、自己肯定的な必要プロセスともいえ、また、釣りをも肯定する。考え続けるしかないのだろう……。

とまあ、今回は少々インテリジェンスをひけらかし、カッコつけた内容にしてみたのだが、要は「釣果を得たければ、根気強く頑張って考え続けましょう!!」というだけのことである(笑)。
徐々に集中力が続かなくなり、すぐに足腰に来てしまう私にとって、一日中トライし、考え続けることは至難の技。自分を鼓舞する意味でも、楽しくポジティブに物事を考え、釣れない時の楽しみ「妄想トリップ」は、釣りを続ける秘訣だと思っている。
よろしかったら是非ご参考下さいっ。

※本文は都合により脚色を交えております。ご了承下さい。